SNSの総フォロワー数41万人を超えるハードオフ店員の永田さんをご存知ですか?
お店のジャンク品をつかって一人でいくつもの楽器を奏で、
90年代の曲をカバーさせたら右に出るものはいない才能の持ち主です。
そんな永田さんについて検索すると
「辞めた理由」
というキーワードが出てくるようです。
まさかハードオフを辞めるの!?
今回は、ハードオフ永田さんが何を辞めたのか?経歴に迫ってみました。
- 音楽活動を25歳で辞めていた!
- 小学生で音楽にはまりYouTuberとして活躍するまでの軌跡!
ハードオフ永田のプロフィール
名前:永田
生年月日:1988年2月9日
年齢:36歳(2024年11月現在)
出身:福岡
職業:ハードオフ久留米国分店の統括店長
私生活では2019年10月に入籍され、3児の父として
家庭と仕事、音楽活動を両立させているようです!
【経歴】ハードオフ永田が辞めた理由とは?
永田さんが辞めた理由とは、ハードオフのお仕事ではなく
ということだったようです!
小・中学生で流行していたバンド音楽にハマり、自身もミュージシャンになる夢を追って、10代で上京。
だからあんなに歌が上手なんだね!
しかし東京で酸いも甘いも経験し、25歳で夢を諦め、地元に帰ってきたそうです。
ミュージシャンになる夢を辞めた理由について多くは語られていませんが
当時は音楽業界もバンドアーティストが飽和状態。
東京ではバンド活動や弾き語りなどに挑戦していたそうですが、運に恵まれなかったのでしょう。
若いうちに次のステップへ進もう
と考えたのではないでしょうか。
そんな永田さんの経歴についてご紹介します。
1998年:小学5年生で音楽にハマる
小学校5年生のときに永田少年はGLAYに出会います。
アルバムを買いあさり
- GLAY
- L’Arc-en-Ciel
- LUNA SEA
- HIDE
などを片っ端から聴き始めたそうです。
まさに今の永田さんの原点となるアーティストだね!
2000年:音楽を始める
中学校の1〜2年のころに二人組の「19(ジューク)」が流行り、永田さんもギターに触れます。
家にあった親のアコースティックギターでアコギが最初の楽器だったそうですよ。
2007年:上京するも夢は6年で断念
永田さんは19歳のときに、プロのミュージシャンを目指して上京します。
東京では、バンドを組んだり弾き語りをしたり、ありとあらゆるチャレンジをしたそうです。
しかしながら、25歳でその夢を諦めます。
そのまま東京にいる必要性を感じず、地元に帰ることになったことが
今振り返れば永田さんの最大のターニングポイントだったのかもしれません!
地元福岡に戻ってきた永田さんは、ハードオフでアルバイトを始めます。
2017年:YouTubeチャンネルを開設
永田さんはジャンク品を使った演奏動画を投稿し始めます。
その当時、永田さんはオープンしたばかりのハードオフ筑後店で勤務していました。
とにかくお店を知ってもらいたいという理由だけで、YouTubeチャンネルを開設。
ですが、X JAPANの「紅」を演奏し、その後1年ほどそのチャンネルは放置されていたそうです。
しかし1年後に、何十万回と再生されていることに気づいた永田さん。
それから月一ペースで動画をアップし始めたということです。
2022年:ハードオフ公認のアンバサダーに任命
特に会社に言うでもなくYouTubeチャンネルを開設したところ、思いの外バズってしまい、
会社にもバレてしまったそうです。
ですが、動画がかなり好評だったために、会社からも認めてもらい、今では公式アンバサダーとしても活動もしている永田さん。
永田さんが夢を追うきっかけになったGLAYとの共演を目標にされているそうですが
すでに一度、GLAYのメンバーのHISASHIさんがリツイートしてくれています!
きっとその夢が叶うと、応援したいと思います!
まとめ
今回は、ハードオフの永田さんが「辞めた理由」についてご紹介しました。
- 音楽活動を断念した理由は「年齢」によるものだった可能性が高い
- 現在は新たな夢「GLAY」との共演を掲げている
永田さんの経歴、夢がありましたね!
▼【何者】ハードオフ永田さんの3児の父っぷりについてコチラにまとめています。